「我が與えんとする水を飲む者は世世に渇かざらん、乃ち我が彼に與えんとする水は、其の中において永遠の生命に湧く水の泉と爲らん。/正教会訳(わたしが与える水を飲む者は、いつまでもかわくことはないばかりか、わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわきあがるであろう。/日本聖書協会訳)」(イオアン伝4:14)
水の祝福では、私達が身近に接する水が司祭の祈りと十字架のしるしによって聖別され、目には直接は見えない神による恵みを、目に見えるものとして運ぶものへ変容します。
聖水は、霊的および肉体的な果報のために飲むこともできますし、人、物、乗り物、建物などを聖化し、悪を追い払うためにそれらにふりかけることもできます。
水は地球上の生命にとって不可欠であり、聖書では屢々創造と新しい生命とに関連付けられています。創造の物語は聖神が水面(みなも)に浮かぶことで始まり(『創世記』1章)、創造の再生は洪水によってもたらされ(『創世記』6章)、紅海ではイズライリの民は海を通過することで自由への旅を始めました。(『エギペトを出づるの記』14章)
ハリストスの現れはイオルダン川における洗礼から始まり(神現)、私たちも「水と聖神」(イオアン伝3:5)の洗礼によってハリストスと結ばれます。聖書には水による癒しの数え切れない奇跡が記されており、神の恵みを証しするために水が用いられます。
水は、純粋さ、明晰さ、癒し、爽やかさ、活力、そして復生の浴盤を意味するものであり、人生にとって非常に基本的な要素であるものを、神の恵みとして私たちに伝えるために使用されるのも不思議ではありません。
聖水の祝福はいつ行われるでしょうか。大聖水式は神現祭にのみ行われますが、教会では小聖水式は一年中いつでも行うことができます。
水の祝福は、洗礼式の際にも行われますが、洗礼で祝福された水は他の目的には使用されないのが伝統です。
家屋や基礎(土地)を祝福するため、司祭が信徒宅を訪問して、聖水による祝福を行うことを希望される場合は、大聖堂事務所までご連絡ください。
聖水による生活成聖の祈祷は、車、家屋への新たな入居の際に、胸懸け十字架、イコンなどにも行います。