聖パン記憶とローソク献灯のご案内
初代教会の時代、致命(殉教)者のために、彼等がこの世に生を受けた日ではなく致命した日(天国で永遠の生命を得た誕生日)に墓所に集い聖体礼儀を行う習慣ができました。
ハリスティアニンは、初めは個人の家に集まって祈っていましたが、やがて教会を持つようになり、更に全てが一箇所で祈るのが難しくなり、複数の教会に分散して祈るようになりました。
しかし、町にいくつも教会ができたので、ハリストスの体との一致が失われてしまったかのように感じられ、一致の絆を保つために、中心となる主教座の教会の聖体礼儀のパン一片を、同じ町の他の教会に運び、そこの聖体礼儀のパンに一緒に加える習慣が始まりました。
その後、各地の教会がその他の諸教会の主教の一覧表を所持して、聖体礼儀の度に他の教会の主教たちの聖名を読み上げてパン一片を切り落として祈るようになったのが生者の記憶の起源です。生者や死者の名を書き込む帳簿、それは蝶番のついた「二枚折り」の板で、「記憶録」と呼びました。
このような歴史のもと、私達がおこなう生者、死者のための聖パン記憶は、聖体礼儀参祷に際して行う大切な祈りとして現在に受け継がれています。
誰もが旅行、傷病などの入院や、様々な事情によって参祷できない時があります。奉神礼では「航海する者、旅行する者、病を患うる者」(大連祷より)のための祈りが捧げられます。
すなわち、生者については、その日、そこに参祷できない人の聖名を、まず記憶録(用紙)に記します。そして、死者を思い起こして、永遠の記憶を祈りつつ死者の欄に記します。
司祭は至聖所内でこれを読み上げて、聖パンから聖戈(せいか=ほこ)を使って小片を取り出します。これを聖パン記憶と言います。その小片は、まずディスコスの上に置かれ、聖体礼儀の集結までにポティール(聖杯)の中に入れられ、そこでハリストスと一体になります。
さて、聖使徒パワェルの「絶えず祈りなさい」(フェサロニカ5:17)という言葉があります。私達は眠って居る時、食事をしている時は祈れません。その時、私達は眠っている隣人を思い起こして、その人のために祈ることができます。私が誰かのために祈り、誰かが私のために祈ってくれる。これで、「絶えず祈りなさい」は実行できるのです。
久しぶりに会うことができた人に「私はあなたのために祈っていました」と言葉をかけることができるとすれば、それはハリスティアニンの真の愛の証なのです。
自らがお祈りに来られなくても、ローソクの献灯も、参祷できる方にお願いすることで祈りに加わることができます。
死者、生者の記憶の用紙あるいは記憶録に聖名を記入し、献金をそえてお申し込み下さい。