主の冥府降り
「 見よ、突然冥府は揺れ動き、死の門戸とかんぬきは破られ、鉄の錠前は壊され地に落ち、一切が晒された。サタナは真ん中に縛られ留まり、狼狽し、落胆し、足枷で繋がれた。見よ、主なるイイスス・ハリストスが高貴な光の輝きのうちに静々と来たり給う。」(新約外典『 ニコデモ福音書』より)
受難週間と復活大祭(聖大パスハ)
エルサレム入城の後、イイススは町を去りお弟子さん達に教えを続けられました。ちょうど過越と言うユダヤの祭の前に、イイススは再びエルサレムに使徒を伴って行かれました。
この時、一行は祈り、食事をするためにシオン山にある町の一室の二階にあつまりました。ここでイイススは使徒たちに神様を礼拝し、御聖体をいただくこと(領聖)について教えられ、御自身の聖体を初めて使徒たちに授けられました。
その日の夕方、主は使徒たちを伴ってエルサレム市近くのゲッセマネと呼ばれている庭園にあるケデロンと言う幅の狭い川の川岸に行かれました。そこでハリストス(キリスト)は使徒たちに、心して主に祈るように言われました。主は、それから使徒たちからは少し離れて、大きな岩の上に御自身ひれ伏して祈られました。イイススは祈られ、心は私達のことを思う苦しみのために、実に血の汗を流されたほどでした。ここで、イイススは、私達を、私達自身の罪から救うために、御自身を犠牲にされました。だがイイススは、御自身が私達のために苦しまれた後になっても、私達が犯すに違いないあらゆる悪い事についてあらかじめ見ておられました。
イイススはまた、人々がどのようにして主を受け入れることを拒むか、何人の人が主と、主の聖なる使徒の教会に背を向けるかについてもあらかじめ解っておられました。主はすべての人を愛し、そこで主は私達の罪を御自身のもとに引き取られ、私達を救うために拷問を受け、十字架にかけられることをも受けられました。これを「受難の愛(無償の愛)Jといいます。それは私達の神キリストがこの地上に降り、人間の手によって苦しまれ、しかも、私達自身の罪と、悪い行いのために苦しまれたからです。一方、使徒の一人イウダ(ユダ)は、ユダヤの悪い支配者と会いハリストス(キリスト)を売る約束をしました。これらの悪い人達は明るい聞にハリストスを捕らえることには消極的でした。と言うのは、とても多くの人達がイイススを尊敬し、慕っていたからです。そこで支配者たちはイイススを捕らえるために、夜になってから、イウダ(ユダ)に先導された兵隊を出発させました。
主は、御自分が祈っておられる聞に眠ってしまったお弟子さんたちをご覧になり、彼らを起こしに行かれました。イイススが弟子たちと話しているところにイウダと兵隊たちがやって来ました。イウダは兵隊たちに私達のハリストス(キリスト)を指し示しました。主は兵隊たちが御自分を捕らえるままにされ、兵隊は主を悪い支配者の前へ引き立てて行きました。支配者たちはあらかじめ何人かの人々にお金を払い、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)について嘘と中傷を言うようにしておいたため、支配者たちは主を有罪とし、死刑に決定することができました。
人々が主に対する数多くの嘘の訴えを並べたてた後、人々はイイススを裁判のためにローマの法廷に引っぱって行きました。裁判ではあらゆる嘘の訴えがなされましたが、主は自らをかばうことはありませんでした。悪いユダヤ人達はローマの裁判官であるポンティオ・ピラトにハリストス(キリスト)を十字架の刑に判決させました。裁判の後、イイススは連れ出され、ローマ兵から拷問を受け、鞭打たれました。
そして、十字架にかかる場所に連れて行かれ、十字架の上に釘打たれました。十字架の上では私達のために数え切れない程多くの苦しみを受けられた後、私達の罪のために自ら死ぬことを受けられました。
主が十字架上で息を引き取られた後、アリマタヤのイオシフ(ヨセフ)そしてニコディム(ニコデモ)と言う、主に忠実な何人かの弟子たちがやって来て、尊いそのお体を十字架から降ろしました。イイススのお弟子さんたちは、それから細長い麻布をもって来て、イイスス様のお体に香料と薬品を塗りました。彼らはイイススのお顔には布を巻かず、最後に皆、イイススに「さようなら」のくちづけをして、顔に布をかけ、それから主が十字架にかかった場所近くの墓に葬りました。墓の入口はそれから、大きな丸い石で閉じられました。
ハリストスの使徒たちの方は、がっかりしてしまい、どこかへ行き苦悩で泣きながら神様に祈っていました。使徒たちには、まだイイススが死に打ちかっため、私達のために自ら甘んじて死なれたことがわかりませんでした。使徒たちは、まだどのようにして主が三日後に死から再びよみがえるのか解りませんでした。
聖大金曜日になって、私達の救い主の聖なるお体は墓の中に移されました。だが、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)は真に神であり、そこで、主の、人としての体が死んだのでありました。神として、救い主はすでに死んだ総ての信仰深い人の霊のうちに宿り、主はこれらの人達に死が打ち砕かれたこを現し、そして彼らもまた最後の日には死からよみがえり、そして、主と共に永遠にいるであろう、ということを示されました。これは、聖大土曜日のできごとです。
日曜日、つまり、週の最初の日の朝早く、我らの主であり救い主であるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)は栄光のうちに墓から起き上がりました。イイススには、自分が墓から出るために石をよけておかなければならない理由はありませんでした。主は墓がまだ閉ざされている聞に、墓から出られました。墓から出られた後、イイススは天使達に弟子たちが墓の中にはいれるように、そして、死からの主の復活の証人が墓の中に入れるように石を動かしておくよう命じられました。
夜が明け、空が白みかけると、イイススの忠実な弟子の何人か、つまりマグダラのマリヤ、マリヤと何人かの他の熱心な婦人たちは祈り、良い薫りがする油と香料をハリストスのお体に注ぐために墓にやってきました。墓の入口には何人かのローマ兵がハリストスの墓の番をしており、人々を追い払っていましたが、婦人たちは兵隊たちに大きな石を動かし、墓の中に入れてもらいたいと考えていました。だが、兵隊たちはどこかに行ってしまい、おりません。それは兵隊たちの目の前に天使達が現れて、石を動かした時に兵隊たちは恐ろしさのあまり逃げ出したのでした。
信仰篤い婦人達が墓に着いた時、婦人達が見たものは墓の入り口は聞き、兵士達はおらず、しかも墓がもぬけのからになっている有り様でした。婦人たちが墓に来ると主の使いが婦人たちに言いました。「あなた達は生きているお方を、どうやって死んだ人の中から捜し出すのですか。あなた達が探している人はここにはいません。その人はよみがえりました。ご覧なさい、その方が横たわっていた、その場所を見なさい。急いで行って、弟子達とペトル(ペテロ)に主が死から復活し、あなた方とはガリラヤで会うだろうと伝えなさい。」
それから少しして、マグダラのマリヤはもう一度墓を見に戻って来ました。そこで主は自らマリヤに現れて、マリヤを慰められました。聖使徒のペトルとイオアンか(ヨハネ)もハリストスの復活を聞くと、墓に駆けつけ、イイススが本当によみがえったことを知りました。二人は喜び、神様を賛めたたえながら墓から戻って行き弟子達は皆、主が再び彼らと会う約束をされたガリラヤへと出かけて行きました。
ここでもまた、主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)は弟子達に多くのことを教えられました。後に使徒達が祈るために一室に集まっていると、突然その部屋に主が現れ、ハリストスの聖なる教会について話しをされました。ここで主は私達に聖神の受け方を教えられました。ハリストスは使徒の上に息を吹きかけ「聖神を受けなさい」と言われました。これは、ちょうど今日、私達の洗礼の後で主教様あるいは神父様が行うのと同じです。
数十日して、イイススは、天国へ昇られる前の最後の教訓を教えるために、弟子達をエルサレムから離れたオリブ山の山頂に集められました。