ニコライ堂の大斎祈祷 大いなる恵みのとき
大斎が40日であるのは
「イイスス聖神に滿てられて、イオルダンより歸り、神(シン)に導かれて野に適き、40日の間悪魔に試みられたり。此の諸日には一切食はざりき、其卒(おわ)るに及びて遂に飢えたり。」(『ルカに因る聖福音』 4:1-2)
私達はハリストスが40日間、荒野で悪魔の試みに遭ったことに倣い「大斎」、「四旬(40日)斎」の日々を、祈りと痛悔とともに過ごしてパスハの喜びを味わいます。
大斎の祈祷では聖堂は灯りを落とします
大斎準備期間、大斎期間、受難週間を通じて、聖堂では『三歌斎経』を用いて通常より長時間にわたり、平常時に増して更なる霊性を高める濃密な祈りが行われます。
大斎期間の聖堂の様子は一変します。光は減じられ、王門は閉じられ、聖歌は重い調子のものになり、祈祷の壮麗さは遠のき、宝座を覆うカバーや祭服も平日は黒(喪服の色です)、主日は紫と地味になります。
大斎期の平日の早課では、平時に詠われる主の顕れを示す明浄な「主は神なり我等を照せり、主の名に依りて來る者は崇め讃めらる」の代わりに、死者の葬りを思い起こす暗然とした「アリルイヤ」が詠われ、聖歌全体の旋律も一段と暗くなります。
大斎は自らの罪に向き合う時です
詠唱や誦経により、主を面前に痛悔の心を呼び起こす祈祷文に出会うことから、私達は罪深き霊(たましい)の悲哀さを痛く思いつつ深い祈りに導かれます。
祈りの流れのなかに跪きや伏拝が織り込まれ、悔い改めの姿勢へと促される祈祷文が詠われ読まれます。平日は全ての奉神礼の終結部に、シリヤの「 聖エフレムの祝文」が誦読され、「神や我罪人を浄め給え」を唱えて躬拝します。
痛悔の祈り 聖アンドレイのカノン
祈祷書は 『大斎第一週間奉事式略』
大斎の濃密な痛悔の祈りは、初週の月曜日から木曜日までの四日間、夕刻の晩堂大課における「クリト(クレタ)の聖アンドレイの大カノン」のトロパリ(讃詞)の誦読において、より深められます。
祈祷文は旧約聖書の義人、善人、悪人の業を取り上げて、善行に導き、悪行を斥けるための示唆を与えて、私達を誠に神と向き合う深い痛悔の心へと誘います。
トロパリを読み上げる度に附唱「 神や、我を憐れみ、我を憐れみたまえ」が繰り返し詠われます。
神の憐れみを強く感ずる祈りです
水、金曜日には、エギペト(エジプト)の聖マリヤの讃詞が付加されます。この讃詞は、大罪人たる聖マリヤのように、真摯な痛悔をなす者は、主の限りなき仁慈と哀憐とに満たされることを教え、聖マリヤは深い改悛によって、却って大功徳者となった善例であることを私達に示します。
先備聖体礼儀 大斎は平日も領聖ができます
わが国の正教会では主日と祭日が領聖の機会ですが、修道院では聖体礼儀を毎日行います。しかし、規程により大斎中にはどこでもスボタ(土曜日)と主日のみしか聖変化を伴う聖体礼儀は行えなくなります。
そこで「先備聖体礼儀」を水、金曜日の晩課の後で行うことを定めました。むしろ、日本正教会では領聖の機会が増えるのが大斎期間です。この特別な聖体礼儀、即ちご聖体の授与式はローマの「パパ(教皇)」問答者聖グリゴリイ(六世紀在位)の書に「筆した」(日本正教会の文献ではこう表記される例がある)ものと伝えられますが、編輯にかかわる詳細はあまり明確ではありません。
記録として残る先備聖体礼儀に関する最も古い規定は、692年にコンスタンティノープルの宮殿内にある円蓋(トゥルロス)の部屋で行われたQuinisext公会(第5,6全地公会の補完会議、通称トゥルロス公会)で決められた規程の第52条で、復活祭前の四十日間の斎と、その間の平日には通常の聖体礼儀は行われず、直前の主日に聖変化を済ませたご聖体を分かち合うご聖体の授与式を行うことができることを明確に規定しています。
先備聖体礼儀は水、金曜日 なぜなの
それは「準備を整えた斎明けの領聖」です
先備聖体礼儀のある水、金曜日は不禁食週間を除き年間を通して斎です。初期のキリスト教徒たちは、四旬節の水曜日、金曜日は、とりわけ大切な日として、夕方の晩課まで終日絶食する習慣を大切にしました。水曜日、金曜日の晩課に継いで、斎が明けた翌日となる晩課の構成の中で領聖する、という卓抜なアイデアによるご聖体の授与式こそ先備聖体礼儀です。晩課に次いで行われる聖体礼儀はすべて明日のできごとです。先に聖にされ取り置かれたご聖体の領聖の時は形式上「翌日となる」構造となっているのです。この点こそ、先備聖体礼儀を考究するにおいて、最も強調すべき大切な点です。
所謂初代教会の頃、 先備聖体礼儀は晩課に接続されて行われるので夕方になりました。水曜日、金曜日はしっかりと日没まで断食をしたのち教会に行き、夕方の時間にもかかわらず、明日の出来事である先備聖体礼儀で領聖することができました。つまりその日の断食を破る(終える)ことができる晩の祈りの中での領聖が用意されていたのです。
念入りな 準備とその成就である領聖後は、依然として斎ではありますが、その日初めて食物を口にすることができたという伝統がそこにありました。こうした機会を生かして斎の期間を過ごすことによって大斎期の霊的生活を更に深める機会が与えられました。そこに、「断食を破る」という構造をもった先備聖体礼儀の極めて大きな存在意義があります。
水、金曜日は、ほんらい「領聖までの時」が大切なのです
大斎の水曜日と金曜日は節食のなかで心は研ぎ澄まされ、祈りと悔い改めに没頭できる日として私達に与えられる恵みの時です。先備聖体礼儀での領聖の喜びは終着点ですが、むしろ領聖に至るまでの過程こそ霊的な点において比類なく大切で、私達正教徒が目ざす霊的生活そのものが年間を通じて最も深く「体現」される機会となってきました。
斎のときは飽食の気怠さは遠退き、心はさわやかでありつつも、静かな「覚醒」があります。神を見つめる営みのなかで、心は定常でありながら優れて自らの悔い改めの姿勢において「鋭利」となる希有なときが大斎の水、金曜日の領聖前のときなのです。
本来、先備聖体礼儀は夕方に行われるものですが、東京復活大聖堂では午前中に第三、六、九時課-聖体礼儀代式(ティピカ)-晩課-先備式-領聖となっています。修道院では、午後三時頃に領聖になるのが通例です。また晩課が午前中に始まったとしても、先備式での領聖時は正午を過ぎて、午後になるように奉神礼をおこないます。水曜日、金曜日以外の平日は、晩課までで終了します。
ちなみに、降誕祭と神現祭の前日は厳斎日であり、糖飯日とも言われます。受難週間も含めてこうした晩課の構成のなかで行われる聖大ワシリイ聖体礼儀あるいは金口イオアンの聖体礼儀(生神女福音祭の例)も斎明けの領聖をめざす先備聖体礼儀と同様の「断食を破る」しくみです。晩課に次いで行われる聖体礼儀のある日は、すべてその日の「霊的生活を究極まで重んずる」意図が明確です。
ところで、先備聖体礼儀の際のポティール(聖杯)に注がれた葡萄酒は、尊血ではないので、あえて白ワインを用いる習慣が海外の教会ではあります。
先備聖体礼儀の中では聖変化は行われず、直前の主日などに準備(先備)されたご聖体を宝座にとり置き、奉献台を経て既に直近の主日で記憶を済ませたご聖体を恭敬のもと首に掲げて大聖入をおこない、再び宝座に移してから領聖します。先備聖体の領聖時、形式上は水曜日は翌日の木曜日、金曜日は翌日の土曜日となっているので、準備を終えた斎明けの領聖となります。
先備聖体礼儀式の祈りの極みは
至聖所には聖変化されたご聖体があります。晩課のパレミヤ誦読を挟み、王門は開かれ、「ハリストスの光は衆人を照らす」と司祭が唱え香爐と蝋燭を以て、衆人に向けて十字架を畵(か)く祈りが先備聖体礼儀式の頂点です。ここで、「衆人」とは、そこに参集している参祷者だけの限られた人たちのことではありません。あまねく、分け隔てなく、すべてに天からの祝福は及ぶことをこの「衆人を照らす」という祈祷文は示しています。
ここで、聖堂で祈る者は地に伏拝します。ハリストスの驚くべき光は全てを照らすゆえに、敬虔の心を顕して、ただ罪の赦しを切望しつつ霊と体を込めて聖歌で応えます。晩課の「主や爾に籲ぶ〜」のスティヒラ詠唱のときの香爐の香りは、私達の切なる「祈りの」象りとして天に昇りますが、次の聖歌はその思いが更に深められて詠われます。
「願はくは我が禱は香爐の香の如く、爾が顔の前に登り、我が手を擧ぐるは暮の祭の如く納れられん。主よ汝に籲(よ)ぶ、速に我に格(いた)り給え、汝に籲ぶ時、我が禱の聲を納れ給え。主や我が口に衛(まもり)を置き、我が唇の門を扞(ふせ)ぎ給え、我が心に、邪(よこしま)なる言(ことば)に傾きて、罪の推諉(いいわけ)せしむる毋(なか)れ。」(『大斎第一週間奉事式略』)
いざ、領聖に際しては、領聖詞「味(あじわ)へよ、主の如何に仁慈なるを見ん、アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ」(『奉事経』)を歌う段は大いなる恵みを実感する時です。
総括的に言えば、先備聖体礼儀の意義は、斎の平日の領聖の喜びだけにあるのではなく、晩課に至る以前の、むしろその準備の時における祷りと痛悔による恵みに、比類無く深い意義をみることができるものだと言えます。
毎土曜日は特別な聖体礼儀があります
初週の金曜日の先備聖体礼儀の終結部(升壇外の祝文誦読後)では、接続された早課の枠組みで聖大致命者フェオドルを讃揚するカノンと糖飯の祝福があり、翌土曜日に聖金口イオアン聖体礼儀が行われます。糖飯の起源は古く、市場にある動物の血で穢れた食物を購求することなく、この日、信徒は糖飯を食したことによります。
第二週から第四週の土曜日、全死者のための聖体礼儀が行われます。死者のための祈祷はパニヒダですが、「死者のための聖体礼儀」を献ずることも正教徒としての努めです。聖体礼儀までに、死者の聖名を記した記憶録を持ち寄り参祷します。
第五週の土曜日、生神女が聖都の民を外敵の侵撃から救った事に感謝する、生神女へのひときわ流麗な讃頌「生神女のアカフィスト」が徹夜祷早課で読まれます。
アカフィストとは讃頌が読まれる間、「 座らず(アカフィストス)」祈ることを意味します。誦読の都度「 聘女(よめ)ならぬ聘女や慶べ」という畳句(リフレイン)が挟み込まれます。
第六週の土曜日、ハリストスが、ハリスティアニンの復活の兆しとしてラザリを甦らせたことを記憶する「 聖にして義なるラザリのスボタ」の祈りがあります。