復活祭期から升天祭を経て五旬祭へ
5月5日(日)復活大祭・「 聖大パスハ」
パスハは、春分の日以降の最初の満月の直後の日曜日と決められています。ヘブライ語のペサハ(過越の祭)が語源となっていて、主の復活は私たちを「死より生命に、地より天に」過ぎ越させることを示します。
復活祭の主日聖体礼儀は『イオアン伝』1:1-17が誦読されます。復活祭主日の愛の晩課では、ハリストスが目の前に現れ、「安かれ」と語って復活した様を弟子たちに示したくだり(『 同』20:19-25)が、各国語で全世界に向けて読まれるのが伝統です。
「見よ、突然冥府は揺れ動き、死の門戸とかんぬきは破られ、鉄の錠前は壊され地に落ち、一切が晒された。サタナは真ん中に縛られ留まり、狼狽し、落胆し、足枷で繋がれた。見よ、主なるイイスス・ハリストスが高貴な光の輝きのうちに静々と来たり給う。」(新約外典『ニコデモ福音書(ピラト行伝)』24章)と伝承されます。
ハリストスの復活は、弟子達や彼を信じる者にとって衝撃的事件でした。この出来事に遭遇したある者は怯え、戸惑い、疑いを抱き、恐れたのでした。
この混乱を取り除いたのは、復活の主と彼等との40日間に渡る交わりでした。復活した主は幾度も弟子達の前に現れ、彼等の戸惑いと恐れを取り除き、大いなる喜びへと変容させました。
十字架に架けられたハリストスと何度も共に食事をすることで、弟子達の復活に対する信仰は確信に変わります。復活後の主の顕現こそ、その後の教会誕生の大きな転機となるものでした。
復活祭期は復活祭から升天祭前日までの40日間は、聖堂などで伏拝をしない期間となります。復活祭期には次の復活トロパリを詠います。
始業に「ハリストス死より復活し、死をもって死を滅ぼし墓に在る者に生命を賜えり。」(三回唱えます。)
終業に「新たなるイエルサリムよ光り光れよ、主の光栄爾に輝きたればなり、シオンよ、今祝いて楽しめ、爾潔き生神女よ、爾が生みし主の復活を喜び給え。」
5月6日(月)から11日(土)光明週間
光明週間は、修道院では毎日聖体礼儀がありますが、時課は「光明週間の時課式」(『五旬経略』27-30頁)を各時課共通に繰り返し読むので、祈祷は大幅に短くなります。光明週間は、聖障の王門が開かれたままで、主の復活によって天国の門が開かれていることを私たちに伝えています。
5月12日(日)聖使徒フォマの主日
「その脇腹に手を入れて見なければ信じない」と言って、復活した主を否定したフォマのために復活後8日目にハリストスが顕れ、フォマをして復活を信ずる者に転換させたこと、そうした使徒の体験を通して主の復活が、幻でなく肉体を伴うものであった事が記憶されます。『イオアン伝』20:19-31
5月19日(日)聖携香女の主日
主の復活を最初に知ったのは、お墓に香料を携えて行った女弟子達でありました。カラの墓を見た女達の驚きを通して、復活が事実である事が確信されます。復活を知らせた天使の言葉は、彼女達の悲しみを喜びに、涙を笑顔に変えました。『マルコ伝』15:43-16:8
5月26日(日)癰者の主日
ベテスダの奇跡の池のそばで、38年もの長い間、病に伏していた男が、人類全体の姿と重ね合わせられ、ハリストスの一言によって癒されたことを記憶します。寝床の上に臥していた彼が床を担ぐ者となりました。このような甦り、「復活」が死の支配を乗り越え、罪と言う病に縛られている人間えお解放したことが示されます。『イオアン伝』4:5-42
6月2日(日)サマリヤの婦の主日
遊んだ生活をしていたサマリヤの婦(フォティナ)とハリストスとの出会を思い起こします。水瓶を置いて去った彼女は、ハリストスを信じ、「生ける水」、「 永遠の生命に至る水」を頂きました。復活に預かる恵みは、水による洗礼を通して与えられることが、この日改めて教えられます。『イオアン伝』4:5-42
6月9日(日)瞽者の主日
生まれながら見ぬ者の目に泥を塗り、シ口アムの池で洗わせて癒したハリストスの奇跡を思い起こします。本当に「見える」ということはどういうことかを私たちに教えています。すなわち籍身した神の子を、自らの目で認める事、すなわち神の国への開眼である事を知ることになります。『イオアン伝』9:1-38
主の昇天祭の前日には、聖堂などで伏拝しない期間を終えます。復活祭主日から続いた、始業の際に復活トロパリを詠うのもこの日までです。
6月13日(木)主の昇天祭
主が復活後40日目に天に昇っていかれたことを祝い、私たちをも天に昇らせてくださるよう祈ります。いつまでも主との別離を惜しむ弟子たちに、天使が主の再臨に備えるよう教え諭したことを記憶します。『ルカ伝』24:36-58
始業の際に詠われる「天の王慰むる者や〜」は五旬祭前日まで詠わず、代わりに五旬祭前日まで次の昇天祭の讃詞を詠います。
始業に「ハリストス我等の神よ、爾は光栄の中に天に升り、聖神を遣わすを約して、門徒を喜ばしめ給えり。彼等爾の祝福に依りて、爾が神の子、世界の贖罪主たるを確かめられしに因る。」(昇天祭讃詞)
終業に「常に福にして〜(略)」
6月16日(日)諸聖神父の主日
第一回全地公会議(ニカイア・325年)に集まり、アリイの教えである、ハリストスの神性と人性とを認めず、三位一体を唱えずして、救いの意味を否定したものとして退け、信経の骨子を取り決めた318人の諸聖神父を記憶する主日です。『イオアン伝』17:1-13
6月23日(日)五旬祭・聖神降臨祭
パスハから50日目、五旬祭(ペンテコステ)とも言われるこの日、弟子たちに聖神が降り教会が誕生しました。聖神降臨によって新たな信仰生活、伝道の日々が始まりました。『イオアン伝』7:37-52,8:12
復活祭から聖五旬祭の奉神礼は、復活の生命に対する最も雄弁な証言として現代まで続いている「聖使徒の声」なのです。復活の主と弟子達の交わりは、40日後の主の昇天によって再び転機を迎えます。神の国の教えと復活の生命を体験した弟子達には、最早万端の準備が整っていました。
「生ける聖神の宮」へと変容した弟子達は、もはや「永遠の生命を給う主」、「聖神降臨」を待つばかりでした。そのことは、昇天から十日後に成就します。ここに私達は、救世主の本当の目的を見ることになります。この世に神の国(教会)を立てるため、永遠の命を給う主たる証しである聖神が降ったこと。人々が聖神を受けられるよう、新たなる変容(洗礼)に与らせること。それはまた来るべき神の国の到来を告げる確証でもありました。